基本情報
- 城名:千早城(ちはやじょう)
- 城地種類:山城
- 築城者:楠木正成
- 住所:大阪府南河内郡千早赤阪村
- 交通:南海高野線「河内長野」駅 南海バス35分
マップ
楠木正成
千早城は大阪府の南東の方角、奈良県との境にあるお城です。鎌倉時代の末期(南北朝時代)に楠木正成(くすのきまさしげ)が築城しました。
楠木正成ってどんな人?
楠木正成は、鎌倉末期(1294年)に生まれ生涯を天皇に捧げた人物で、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)による鎌倉幕府の討幕の呼びかけに応じて挙兵した将のうちの一人です。
千早城の戦い
千早城の戦いは1333年に鎌倉幕府と後醍醐天皇の討幕に応じた楠木正成率いる討幕軍の戦いで、鎌倉幕府軍約11万人に対し、楠木軍はわずか1000人。この千早城に籠城し3か月半ほど攻撃を耐え幕府軍を退けました。
※ちなみに「太平記(南北朝時代を舞台にした軍記物語)」には約200万人の兵と記述が残っていますが、誇張しすぎているとし諸説あるが約2万5000人~11万人が現在の妥当とされています。
この千早城の戦いをきっかけに各地でも討幕運動が勃発。「足利尊氏(あしかがたかうじ)」や「新田義貞(にったよしさだ)」も幕府側から天皇側の討幕軍に呼応し挙兵。鎌倉幕府を滅亡に追い込むのでした。
鎌倉幕府は滅亡した後はどうなったの?
鎌倉幕府滅亡後の楠木正成
鎌倉幕府が滅亡後、足利尊氏は天皇に背(そむ)くことになります。また多くの武将が利を求めて足利尊氏側に寝返る中、楠木正成は最後まで天皇側(後醍醐天皇)に付き「湊川(みなとがわ)の戦い(1336年)」で足利尊氏に敗れ自害しました。
最後まで天皇を裏切らず尽くしたことを称え、皇居では楠木正成の銅像が立っており、また神社でも楠木正成の銅像を見ることができます。
そんな千早城の戦いの舞台となったここ千早城は、難航不落を思わせる、急な登り(階段)が多くとても登るのに大変な山でした。
また、金剛山登山ルートは人気の高い登山コースとなっており、登山道入り口には、食事処やmont-bellのショップも充実し登山としても楽しめます。
100名城スタンプはこの登山口の「山の豆腐」に置いてあります。
Cafe 千早の風
千早城の入り口(金剛山登山口)に「Cafe千早の風)があり休憩することができます。
お店の店員さんが優しく、この日は少し寒かったですが、体も心も温まるCafeでした。価格もリーズナブルで美味しい「Cafe 千早の風」に是非皆様も。
なんとモーニングのセットが驚きの500円。茶葉丸はサンドイッチセットを頼みました。デザートも飲み物もついて登山口で500円で良いなんて、、、マジ神でした。
チーズケーキは手作りでめちゃ美味しかったです。