基本情報
- 城名:和歌山城(わかやまじょう)
- 別名:竹垣城(たけがきじょう)
- 城地種類:平山城
- 築城者:羽柴秀長、徳川頼宣
- 住所:和歌山県和歌山市
- 交通:南海本線「和歌山市」駅 バスで約10分
マップ
和歌山城
和歌山城は、1585年豊臣秀吉が紀州を平定し、秀吉の弟(羽柴秀長)に命じて虎伏山の峰に築城しました。🗻🏠
おっ、うちのおとうと。すごい城建てたなぁー
関ヶ原の戦い(1600年)で、徳川家康が天下を取ると、和歌山城は浅野幸長(あさのよしなが)が領主となり、城の大規模な増築工事を行い、連立式天守閣となりました。🏯
豊臣秀吉の城より立派な城を築くのじゃ
1619年に徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が入国し、紀州徳川家が成立します。😕
「とくがわよりのぶ」って誰?
徳川頼宣は、徳川家康の十男として生まれました。🍼🚼
徳川家康が歳をとってから生まれた子供でもあり、家康は頼宣を特に可愛がっていたと言われております。🥰( T_T)\(^-^ )ナデナデ
徳川頼宣(とくがわよりのぶ)
徳川頼宣の逸話を一つご紹介します。📕
頼宣が14歳の時、大坂夏の陣が起こり、戦いの先陣を希望したが14歳という若さということもあり、叶いませんでした。😞
周りのものが「これから機会は何度でもありましょう」と慰めましたが、
頼宣は「14歳が2度あるのか」と悔しさをあらわにしました。😡
そのことを聞いた家康が🦝
今の一言こそが手柄である。!
と頼宣を褒めたとの逸話が残っております。🥺
徳川吉宗(とくがわよしむね)
もう一人ご紹介します。それは次の写真の銅像の人物、徳川吉宗(とくがわよしむね)です。🎠
徳川吉宗は、徳川8代将軍で「暴れん坊将軍」の時代劇などで有名ですが、徳川家当主によくある名前に「家」の文字がありません。🏠
吉宗(よしむね)の名前に「家」の文字がないのは何故?
「家」という名前は、徳川家の当主を継ぐ近い人物に付けられてきた名前ですが、徳川吉宗は、当主を継ぐ立場からほど遠い血筋にありました。☹️
本来、徳川将軍は当主の子供や孫(宗家)から選出されますが、7代将軍の家継(いえつぐ)は、わずか5歳で将軍となり8歳で亡くなりました。そこで宗家の血筋が途絶えた為、徳川御三家から選出することになりました。🥺
徳川御三家(尾張・紀州・水戸)の中でも、宗家へ養子を出せるのは尾張徳川家と紀州徳川家のみです。尚且つその順序も決まっており、尾張→紀州の順番で選定されます。🤭
しかし、尾張徳川家は「将軍職を巡って争いはしてはいけない」という規律があったとされ、積極的ではありませんでした。🙅🏻
また、吉宗は四男でしたが、3人の兄は既に病気でなくなっていて、吉宗が紀州藩主をつとめてました。😇
徳川家継(いえつぐ)の生みの母親でもある月光院(げっこういん)ら大奥の支持もあり、尾張徳川家でなく紀州徳川家の吉宗が選出され、宗家の養子となりました。🫢
これにより1716年に第8代将軍になることができたのです。🤗
御橋廊下(おはしろうか)
御橋廊下は、殿さまとお付きの人、奥女中が二の丸と西の丸を行き来する為に架けられた橋で、外から見えないように壁と屋根が設けられれてます。🌉
西之丸庭園
紅葉が見事で「紅葉渓庭園(もみじだにていえん)」とも呼ばれてます。江戸時代初期に庭が作られとされてます。🌳🪴⛲️
わかやま歴史館
「わかやま歴史館」は、🍡1階が和歌山の名物が置いてあるお土産屋さんで、📚2階が豊富な資料が展示されている歴史館になってます。
入場料 | 大人(高校生含む) 100円 小人(小・中学生) 無料 |
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開館時間 | 9:00〜17:30(入場は17:00まで) |
階段を登る人?
和歌山城内に、石段を登るように見える木の根っこがいます。昔に「ナニコレ珍百景」でも紹介されたスポットとのこと。🤣