基本情報
- 城名:足利氏館(あしかがしやかた)
- 別名:ー
- 城地種類:平城
- 築城者:足利義兼(足利市2代目)
- 住所:栃木県足利市
- 交通:JR山両毛線「足利」駅 徒歩約10分
マップ
足利氏館
足利氏館跡ってどんな所?
足利氏館跡は栃木県足利市の鑁阿寺(ばんなじ)付近に、もともとあったとされる足利氏の居館跡です。鑁阿寺の本堂は、敷地内にあり鎌倉時代に再建された建物とされてます。
足利尊氏(あしかがたかうじ)
足利氏の中で最も有名な足利尊氏(あしかがたかうじ)も、この足利館に生まれ育ったという説もあります。
足利尊氏って室町幕府を開いた人だよね!
足利尊氏は後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の討幕に従い挙兵し、鎌倉幕府を滅亡に追い込みました。直接滅亡させたのは新田義貞(にったよしさだ)と言われてます。
何故!新田義貞ではなく足利尊氏が室町幕府を開く事になったの?
足利尊氏や新田義貞の奮闘により、鎌倉幕府は滅亡。その後、後醍醐天皇が新しい政治を始めます。しかしその政治は公家を優遇する体制となり、武士の不満が高まります。
足利尊氏は、そうした武士の不満を受け武士中心とした新たな政権を誕生させようとしました。
後醍醐天皇は、そんな足利尊氏の討伐を新田義貞に命じます。足利尊氏と新田義貞は、箱根・竹の下の戦いや湊川の戦いなど何度か激突します。どの戦いにおいても勝利したのは足利尊氏で、京都も手中におさめました。
後醍醐天皇の勢いも次第に弱まり、足利尊氏が武家中心の政治を継続させる為に室町幕府を開くのでした。
そんな足利尊氏と新田義貞のゆかりの地は近く、新田義貞は新田金山城、足利尊氏は足利氏館でその距離は約10km。二人とも源氏の一族です。
休憩処(大日茶屋)
参道のすぐ左手にある売店で足利名物ポテト入り焼きそばと、足利シュウマイを頂くことができます。
営業時間:10:00~16:00
定休日:月曜日
学問の聖地 足利學校
足利學校の創建は諸説あり、奈良時代の国学の遺制(いせい)説、平安時代の小野篁(おののたかむら)説、鎌倉の時代の足利吉兼(あしかがよしかね)説があります。
あしかがフラワーパーク
あしかがフラワーパークは、足利館から約6,7kmほど離れた場所にあり、四季折々の花が楽しめます。とくに4月後半~5月にかけて楽しめる「ふじのはな」が有名で「奇跡の大藤」と称される樹齢160年を超える大藤や80mの白藤のトンネルなど感動するので合わせて訪れて頂きたい場所です。
感想
足利氏館は石垣や天守のようなものはなく、鑁阿寺や水堀がある程度で正直言って見処は少ないです。
ですが、近くの足利學校やあしかがフラワーパークと合わせて観光することで、とても楽しい旅になりました。
ふじの花のソフトクリームはめちゃ旨かったよ!