基本情報
- 城名:明石城(あかしじょう)
- 別名:喜春城(きはるじょう・きしゅんじょう)
- 城地種類:平山城
- 築城者:小笠原忠真
- 住所:兵庫県明石市
- 交通:JR山陽本線「明石」駅 徒歩約5分
マップ
明石城
明石にもお城があったんだね。明石城ってどんな城?
明石城は1619年(江戸時代初期)、戦国時代が終わり平和な時代となり、一国一城令により廃城になる中、徳川秀忠の命により築城された城で、小笠原忠真(おがさわらただざね)によって築かれました。
明石城は巽櫓(たつみやぐら)と坤櫓(ひつじさるやぐら)の三重櫓が2つある事が特徴で、日本に12基しかない三重櫓のうち2つ明石城には存在します。
小笠原忠真(おがさわらただざね)
小笠原忠真って聞いたことないんだけど、どんな人?
小笠原忠政(晩年は忠真(ただざね)と名乗る)は下総国の古河城で生まれ、信濃国松本藩主8万石、播磨国明石藩主10万石、豊前国小倉藩主15万石と順調に出世した大名です。
小笠原忠政は大名でもあり、茶人でもありました。また、剣豪の宮本武蔵が最も長く仕えた大名と言われてます。
小笠原忠真は1917年に明石城に入りましたが、その前は長野県の松本城主を務めてました。約15年間この明石城で過ごし、明石城が幕府直轄になると、小笠原忠真は豊前小倉城に移転することになりました。
天守閣
三重櫓が立派だね。天守閣はもっと立派だったのかな?
明石城には天守閣がもともとなかったと言われてるぞ
黒幕の言う通り、明石城は天守閣が焼けて落ちたのではなく、もともと建てられなかったと言われています。
何故、天守閣が作られなかったの?
明石城に天守閣が作られなかった理由ははっきりとわかっていませんが、下記の理由により作られなかったのでは?と推測されています。
・天守を中津城から移築する計画予定があったが移築費用の捻出が難しくなった。
・一国一城令が出ている中の築城であり世論に配慮した。
・大砲の技術が発達し遠くまで飛ばせるようになり、標的となる天守が不要となった。
明石焼き
明石焼きは、兵庫県明石市発祥の郷土料理で、卵やじん粉を使ったフワフワの生地にタコを入れて焼いたものです。たこ焼きより卵がメインにすることで、ふわふわとした触感でだし汁につけて食べるのが一般的です。🐙
感想
茶葉丸が明石城を訪れたのが桜が散り始める春の終わり頃、明石公園では花見客もいる中の散策でした。
風が吹くたび桜吹雪を見ることができ、お城と桜のコラボが美しいお城でした。
日本に12基しかない三重櫓のうち2つを持っているのは、ここ明石城だけであり見る価値十分にあります。