日本200名城

城160.飯盛城 ~信長より前に幕政の実権を握った三好長慶の居城~

基本情報

  • 城名:飯盛城(いいもりじょう)
  • 別名:河内飯盛城(かわちいいもりじょう)
  • 城地種類:山城
  • 築城者:三好長慶
  • 住所:大阪府大東市
  • 交通:JR学園都市線「四條畷」駅 徒歩1時間

マップ

飯盛城跡

飯盛城跡は大阪府大東市と四條畷市(しじょうなわてし)にまたがる飯盛山の山頂に築かれた戦国時代の末期の山城です。

楠公寺(馬場と伝わる広い城郭内にあります)

飯盛山は生駒山地の北部にそびえる標高314mの山で河内平野や京都まで一望できることから、軍事的に重要な要所とされてます。

その為、南北朝時代に城が築かれ、畠山の家臣の木沢長政(きざわながまさ)が1531年に居城としていたとされています。

1560年に天下人・三好長慶(みよしながよし)が入城し、この城を拠点に5畿内(大和、山城、河内、摂津、和泉)と四国の一帯を統治しました。

三好長慶

茶葉丸

三好長慶ってどんな人?

三好長慶は室町時代後半に生きた戦国武将で、室町幕府13代将軍の足利義輝(あしかがよしてる)を京都から追放し政治の実権を握りました。織田信長に先駆ける最初の天下人と評価されています。

三好長慶が、織田信長より先駆けした人物として評されている理由としては、室町幕府の将軍を追放しただけではなく、城造りの面から見ることができます。

飯盛城跡の大きな特徴は石垣を多く用いていることです。織田信長が築城した岐阜城や安土城も石垣を多く用いてますが、織田信長がこれらを築城する前に先駆けて飯盛城は石垣を使用していました。

日本100名城スタンプ

飯盛城から大阪府側に山を降りた四条畷駅の北側に「四條畷市立歴史民俗資料館」があり、日本100名城スタンプが設置されています。

名称四條畷市立歴史民俗資料館
住所〒575-0024 大阪府四條畷市塚脇町3-7
営業時間9時30分~17時
定休日月曜日 (※月曜が祝日または振替休日の場合は翌日)      

感想

飯盛城は畿内を見渡せる飯盛山に築かれた城だけあって眺めがよく、天気の良い日に訪れたくなるお城です。

🍙おにぎりを持って、ピクニック気分で楽しめるお城巡りでした。


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