基本情報
- 城名:高取城(たかとりじょう)
- 別名:芙蓉城(ふようじょう)
- 城地種類:山城
- 築城者:越智邦澄、本多利朝
- 住所:奈良県高市郡高取町
- 交通:近鉄吉野線「壺阪山」駅 奈良交通バスで「壺阪寺前」 徒歩40分
マップ
高取城
高取城は奈良県明日香村の南側にある高取山(標高584m)の山頂に建てられたお城です。
戦国時代、豊臣秀吉の弟の秀長(ひでなが)が大和郡山城の詰め城として堅牢な城を築きました。
詰め城ってなーに?
詰め城とは、本城が敵の攻撃により陥落してしまった時、さらに背後に用意されている城のことです。
大和の国でいうところの大和郡山城が本城で敵の手に落ちても、反撃ができるように高取城を構えたことになります。
また、高取城は城下町からお城まで、全国で最も高低差(446m)がある山城で、岐阜県美濃岩村城と岡山県備中松山城とともに日本三大山城とされてます。
高取城の「大手門」は「御城門」とも呼ばれ、城内の入り口である「二の門」「壺坂口門」「吉野口門」から城内に進むと、この「大手門」の前で一つになります。この大手門が二の丸、本丸への入り口の一つで圧巻の石垣の造りとなってます。
高取城、石垣が沢山残されていてしかも立派でした。
高取城の最大の魅力は、高い山上に累々と残る石垣や石塁です。大手筋から登って大きな石垣が突如現れる感動は、実際に行かないと味わえない貴重な体験です。
高取城の本丸は大天守・天守・三層櫓群を多聞櫓(長屋みたいな櫓のこと)でつなぐ構えでした。現在でも高石垣が連なります。
石垣が立派なお城。豊臣秀長さんはどうしてここを詰め城としたの?
高取城は、豊臣秀長が最初に造った城ではなく、この高取山ではもともと南北朝時代(鎌倉時代と室町時代の間)に、奈良から吉野への交通の要所として、越智氏(おちし)によって築かれた城で、しかも本城ではなく、支城(本城を防衛するための城)として築かれた城です。
その後、筒井順慶(つついじゅんけい)や秀長が大和郡山城の詰め城として改修に改修を重ね現在のような強固な石垣のお城になりました。
城下町
当初は高取山の二の丸や城内にあった藩主住居や家臣のお屋敷は、時代が流れると共に次第に麓(ふもと)に移動してくるようになりました。
今も、壺坂山駅から高取城へ向かう道中に旧城下町の面影を残す建物が残されています。
100名城スタンプ
夢創館(むそうかん):呉服商を改修した観光拠点(お土産販売・休憩所)。
高取城の日本100名城スタンプもここで押すことができます。