基本情報
- 城名:岸和田城(きしわだじょう)
- 別名:千亀利城(ちぎりじょう)
- 城地種類:平城
- 築城者:不明
- 住所:大阪府岸和田市
- 交通:南海電鉄南海本線「岸和田」駅 徒歩13分
マップ
岸和田駅
岸和田駅から岸和田城までは約1km🏯。歩くと13分程度。
駅前には商店街が広がり、飲食店が並びます。岸和田城に行く途中、佐々木家住宅など旧藩主に仕えた家臣の家など見ることができます。🏡
岸和田城
岸和田城は誰が建てたお城なの?
岸和田城はいつ誰によって築かれたお城なのか詳しいことはわかっていないお城です。☹️
岸和田城は、戦国時代に入ると羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が天下統一の為に、紀州勢力の抑えとして利用しました。🤗 三中老(さんちゅうろう)の一人である中村一氏(なかむらかずうじ)を城主として守らせてます。
三中老(さんちゅうろう)ってなぁに?
三中老とは豊臣政権時代に政治に参加し、五大老と五奉行の意見が合わなかった時に仲裁役を務めた役職です。🫣
中村一氏の他に生駒親正(いこまちかまさ)や堀尾吉晴(ほりおよしはる)が三中老を務めてます。🙈🙉🙊
岸和田城の別称は千亀利城(ちぎりじょう)とも呼ばれています。🐢
どうして「ちぎりじょう」って呼ばれてるの?
布を織る際、機織り(はたおり)前に糸の端(はし)を棒に巻き付けるのですが、この棒のことを「ちきり」と呼びます。🧵
本丸と二の丸を重ねた形が、この「ちきり」の棒に似ていることから、ちきり城と呼ばれるようになりました。漢字に当てはめて「千亀利城」と書きます。🖋️
1334年、楠木正成(くすのきまさなり:鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将)の一族の和田氏が、当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築いたことから「岸の和田氏」ということで、ここの地名が「岸和田」になったと伝えられています。🐥
えっ!じゃー和田さんが岸和田城を作ったんでは?
その時に築いた城が岸和田城かどうかまでは現在のところ判明しておりません。🐣
なーんだ。
八陣の庭
岸和田城の庭園には、中国の三国時代に軍師として活躍した「諸葛孔明(しょかつこうめい)」の「八陣法」をテーマにした造園を見ることができます。🐝
八陣法とは「敵を攻める陣形ではなく、平和確立のために外から守る陣形」であり、平和を念願とする本来の意味を構成して作られていると記されてます。🎋
正直、説明聞かないと庭に大きな石があって「なんだろう?」と思ってしまった茶葉丸でした。😅
感想
岸和田城は360度、水堀に囲まれ周りを一周でき、いろんな角度からお城を楽しめるお城です。楽しかったです。😗
天守閣も立派で見応えのあるお城です。ただ資料館がもっと充実してたら良いなぁーと思いました。😉