日本200名城

城165.大和郡山城 ~豊臣秀吉の弟(秀長)が入城、大和100万石象徴の城~

基本情報

  • 城名:大和郡山城(やまとこおりやまきしわだじょう)
  • 城地種類:平山城
  • 築城者:筒井順慶
  • 住所:奈良県大和郡山市
  • 交通:近鉄橿原線「近鉄郡山」駅 徒歩10分

マップ

大和郡山城

大和郡山城は1580年、筒井順慶(つついじゅんけい)が郡山に移った時に築城しました。1585年に豊臣秀吉の弟、秀長(ひでなが)が郡山城に入城し、大和・紀伊・和泉の3国を治めました。

柳澤神社の鳥居(本丸の入り口)
竹林橋跡
大和郡山は金魚で有名でマンホールも金魚です
本丸の様子
茶葉丸

秀長ってどんな人?

秀長は、兄の秀吉を内外の政務および軍事においてサポートし、秀吉の天下統一に貢献した人物で、常に秀吉のそばにいて、唯一、秀吉に異を唱えことができたとされています。。
温厚な性格で徳川家康を含む各所大名との調整役でもあり、寺社が多い大和の国で大きな争いごとをなく治めていることから実務能力も優れていたとされています。

柳澤神社(天守曲輪内に建てられてます)

豊臣秀長は1591年、この大和郡山城で52歳で(病死で)亡くなってます。
生涯の多くを秀吉の影の存在として支えることになるのですが、もし、秀長の寿命が長ければ、豊臣の天下はもっと永く継続させることができたのかもしれないと評価されるほどの実力者でした。

幻の天守

郡山城の天守は、本丸内の北側に位置しており、石垣は約8.5mあります。絵図や文献がほとんど残っていないため、実在していたかどうかも分からず仕舞いでしたが、平成26年の発掘調査で礎石が発見されたことから、実在が確認されました。そこから「幻の天守」と言われるようになりました。

天守台の裏側(北面)に築石として積まれた地蔵があります。大きさは90cmで左手に宝珠、右手に錫杖(しゃくじょう:お坊さんが持ち歩く杖)を持ち、頭を下に置かれており、逆さに覗くと丁度良いことから「さかさ地蔵」と呼ばれています

極楽橋

極楽橋は天守曲輪(てんしゅくるわ)と東側の毘沙門曲輪(びしゃもんくるわ)を繋ぐ橋で、明治6年に郡山城が廃城となってから約150年後の令和3年に再建されました。江戸時代は本丸登城のための正式な入口として重要な橋でした。

追手門

追手門とは正面から攻め寄せる敵に対して防御の役割をもち、敵を追い詰める為の門となり、大和郡山城の追手門は豊臣秀長築城当時に近い形で昭和58年(1983年)に復元されてます。

常盤曲輪跡(ときわくるわあと)

追手門から中に入ると、まず現れるのがこの常盤曲輪になります。常盤曲輪には明治41年(1908年)に日露戦争の戦勝を記念して建てられた奈良県最初の県立図書館(旧奈良県立図書館)を見ることができます。

旧奈良県立図書館
常盤曲輪からみる天守台

旧奈良県立図書館の裏には、東隅櫓から塀が続いており、昭和8年(1983年)~昭和62年(1987年)にかけて再建されてます。

日本100名城スタンプ 柳沢文庫

毘沙門天曲輪の中に「柳沢文庫」という建物があり、そこの前に日本100名城スタンプが置かれます。

桜御門跡

大和郡山城の水堀の外、北東の方角に桜御門跡を見ることができ、ここから見る東隅櫓は圧巻でした。

桜御門跡
桜御門から見る線路越しの東隅櫓

大和郡山城の外

大和郡山城跡以外にも街中に郡山城の名残りを見ることができます。

外堀緑地
火の見櫓

金魚の町 大和郡山市

大和郡山の金魚は、郡山藩主柳澤吉里が甲斐の国から観賞用に持ってこられたことに始まり、約5800万尾が毎年出荷されている生産地として知られています。


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